「何々して欲しい」という欲求・要望の受け皿として様々なサービスがある。
当事者の片方ないし双方が主体的に「何々したい」と思い、実践するとき、コミュニケーションがうまれる。
コミュニケーションにも善し悪しがあって、何が善し悪しなのかという話にすら善し悪しがある現状だけど、
質の高い、滋養のあるサービスにはコミュニケーションが含まれている。
ひさびさにレシピ。
(材料)
スパゲッティ、塩
油(サラダオイルでも、オリーブでも。適量)
レタス(一人分あたり2枚程度)
トマト(一人分あたり卵1個くらいの大きさ)
きのこ(しめじとか好きなものを。一人分あたり卵1個分くらい)
鷹の爪(好みですが一人当たり1本)
だし醤油(なければ醤油+だしの素)
ハチミツ(一人分あたり小さじ1杯)
(作り方)
スパゲッティを茹でる。
茹でている間に、レタスをちぎり、トマトは串切り。しめじは根本を切る。鷹の爪は半分に折って種を捨て、さらに手でちぎる。
パスタ茹で時間の後半になったら、フライパンを熱し、油をしき、鷹の爪(種はいれない)を投入。焦がさぬ事。
ニンニク好きな人は、このタイミングでみじん切りのニンニクを投入します。
挽肉を炒め、野菜を加え(きのこは油を吸うので最後がよいでしょう)、スパゲッティのゆで汁を投入(一人分あたり、おたま1杯弱程度)。だし醤油を加え、ハチミツを少々加える。
このあたりでスパゲッティが茹であがるので、ザルにあけてから麺を投入。味をからめる(汁を煮詰めつつ)。
皿に盛って召しあがれ。
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レタスを加熱するのは最後に…と思われるかもしれませんが、あんがい味がしみにくいので、前半からでよいと思います。
まあ外側の葉っぱほどレタス独特の味が濃く、内側ほど淡泊になるので、タイミングはよしなに調整してくらさい。
私生活とは関係ないテーマでも、浮かんだことは言葉にしようと思います。
(つまり気にしたり心配しないでね)
かといって、100%空想じゃないとも思います。
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いまもあなたが好きなのだが
1日のうち24時間ずっと好きでいるわけじゃないわけだ
好きというのは意志じゃなくて感情
蛍は孵化してから死ぬまで光りっぱなしじゃないんだ
ましてやあなたは
とっくにそうだったのかな
そのうち話す喜びもなくなって
さらに多少の面倒を感じて
目を伏せた方がラクになってたのかと思うと
もともと欠けている私が 実はさらに欠けていたような気がして怖くなる
でもこの怖さはあなたのせいじゃない あなたのせいだって言いたいんじゃない
そうして私もあなたに目を伏せる
久々に自分のことを(ここに)書く。
とりとめもなくなるかもしれないけど、文章もきれいに成形されてないだろうけど、邪魔くさかったら適当に読み流して。
なんか、自分のなかに優しさが育てばいいなと思う。
人に気を配れてないわけじゃない。
けれど本当に人と自分とが、お腹のところからちゃんと開いて、むきあってる感じで出される優しさ、そういうのがあまり発揮できていない感じがする。
怯えるのも、ごく普通の人の、ごく流行の(この世相をうけた)反応だと思う。
肩の荷が降りて自信が持てて、大丈夫。ってなって、人に幸せを分けてあげられるようになったら、やっとそこで神様からご褒美がもらえるかもらえないかって感じなんだろう。
ご褒美は欲しいけど、まずはそういう状態になれたらなと思う。もうそれだけで充分かも。
さっき言ったのと繰り返しになるけど、私は人に何も与えられてないわけではない。
食べ物、お酒をつくったり、会話をしていてポンと絶妙なタイミングでツッコミを入れたり、知っている人に挨拶をしたり、仕事がんばったり、仲間や友人にメールを送ったり、ただ嬉しい気持ちでニコニコしたり…。
でも、迷いの方がうんと厚くて、うろうろしていたんじゃ、神様もチャンスもこっちを見つけられないだろう。
優しさが育てばいいなと思う。
それは、まだまだだ、もっともっと、という飢餓感、焦りからくるものではなく、きっと、願いからきていると思う。
自分の到達点は、尺で言えば他人しか判らないものだろうけど実感で言えば自分しか決めることができないと思う。
いまは、もう少しだと感じています。