Posts (page 2)
私生活とは関係ないテーマでも、浮かんだことは言葉にしようと思います。
(つまり気にしたり心配しないでね)
かといって、100%空想じゃないとも思います。
----
いまもあなたが好きなのだが
1日のうち24時間ずっと好きでいるわけじゃないわけだ
好きというのは意志じゃなくて感情
蛍は孵化してから死ぬまで光りっぱなしじゃないんだ
ましてやあなたは
とっくにそうだったのかな
そのうち話す喜びもなくなって
さらに多少の面倒を感じて
目を伏せた方がラクになってたのかと思うと
もともと欠けている私が 実はさらに欠けていたような気がして怖くなる
でもこの怖さはあなたのせいじゃない あなたのせいだって言いたいんじゃない
そうして私もあなたに目を伏せる
久々に自分のことを(ここに)書く。
とりとめもなくなるかもしれないけど、文章もきれいに成形されてないだろうけど、邪魔くさかったら適当に読み流して。
なんか、自分のなかに優しさが育てばいいなと思う。
人に気を配れてないわけじゃない。
けれど本当に人と自分とが、お腹のところからちゃんと開いて、むきあってる感じで出される優しさ、そういうのがあまり発揮できていない感じがする。
怯えるのも、ごく普通の人の、ごく流行の(この世相をうけた)反応だと思う。
肩の荷が降りて自信が持てて、大丈夫。ってなって、人に幸せを分けてあげられるようになったら、やっとそこで神様からご褒美がもらえるかもらえないかって感じなんだろう。
ご褒美は欲しいけど、まずはそういう状態になれたらなと思う。もうそれだけで充分かも。
さっき言ったのと繰り返しになるけど、私は人に何も与えられてないわけではない。
食べ物、お酒をつくったり、会話をしていてポンと絶妙なタイミングでツッコミを入れたり、知っている人に挨拶をしたり、仕事がんばったり、仲間や友人にメールを送ったり、ただ嬉しい気持ちでニコニコしたり…。
でも、迷いの方がうんと厚くて、うろうろしていたんじゃ、神様もチャンスもこっちを見つけられないだろう。
優しさが育てばいいなと思う。
それは、まだまだだ、もっともっと、という飢餓感、焦りからくるものではなく、きっと、願いからきていると思う。
自分の到達点は、尺で言えば他人しか判らないものだろうけど実感で言えば自分しか決めることができないと思う。
いまは、もう少しだと感じています。