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実家から野菜が送られてきて、辣韮(らっきょう)も入っていた。
母がつくった、甘酢漬け。
店に持っていって、食べたい人にお裾分けしたのだけど好評だった。
私が食べても美味しいと思う。とても美味しい。
味わってみて、やはり自分の料理が母の味加減に似るんだなぁと感じた。
つまり自分の料理が褒められるということは、母の才能(?)を褒められることに通じている。
言葉(言葉遣い)、センス、技、情報…
人って子どもをもつ事以外にも、「DNA」が働いてるし働かせることができるのよね。
そんなわけで、らっきょう、瓶には、もう3分の1しか残ってないw
起きて、近所のレストランへ行って、その足で駅前のデパートへ行き、反対方向の駅ビルの地下へ行きパスタを3種買って、またデパートへ戻り青汁とナッツを買い、帰りに八百屋でライチ、インゲン、椎茸などを買い、スーパーでマヨネーズとライムを買い、薬局で日用雑貨を買い、帰宅。
近所の酒屋へ向かい、料理用の日本酒(料理酒ではない)と、暑さを言い訳にオリオンビール350ml缶を買う。
ビール飲んで小一時間昼寝。
起きて店に出す「茄子の揚げ浸し」を仕込んで、店へ。
24時まで働いて、その後同じ街のバーで休憩。ちょっと長い休憩。マスターお手製のジンジャーシロップを使ったモスコミュールを2杯、レバーの甘露煮、セロリの甘煮をいただく。
帰宅して間もなく寝る。
そんな一日。
たまに、書き残したくなる一日がある。
って、安室奈美恵ちゃんの初期のアルバムみたいやんw
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新・権力者日記 石渕 聡:7月8日
最後に、「何か、質問はあるかああっ?」っと、勢いよく聞きましたら、ある学生が、「先生は、若い時と、今と変わったことがありますか?」という、直球がきたのだ。
その質問を受けて、私は、水を得た魚のように、自分の18、19、20歳のころ何を考えて、どこに向かっていたのかを語り、そして、最後には、「まあ、結局は、多くの者が、なんだかんだ言っても、自分の10代後半の人生観で一生を終えるものだよ、だからみんな、、、、人生観を変えるのもみんなにとっては今が最後のチャンスなんよう!!」なんて言ったりして、思い返すとかなり恥ずかしくも、でもとてもよい時間でした。
桐朋諸君、短い期間だったが、ありがとう。これからの健闘を心から祈っている。
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その通り!と言えるまでには、もうしばらく生きておく必要があるんで(人の人生を知るにしてもそう)、そうかもなあ、ぐらいで。
で、あたしが18、19、20歳の頃何を考えてどこへ向かってたかというと、いま眠くて、ちょっとハッキリ思い出せない…。
女性の都合上、ただいま脳味噌の中のホルモン流れる蛇口がひねりっぱなしで眠いのよ…。それにしても今回は眠気がすごいな。
なんかもう一人の自分が見たら「すごい痛い人だなあ」という印象はある。それは今もだけど…。
本棚にハタチ前に買った本があるだろうから、週末にでもほじくり返してみようかな。
「何々して欲しい」という欲求・要望の受け皿として様々なサービスがある。
当事者の片方ないし双方が主体的に「何々したい」と思い、実践するとき、コミュニケーションがうまれる。
コミュニケーションにも善し悪しがあって、何が善し悪しなのかという話にすら善し悪しがある現状だけど、
質の高い、滋養のあるサービスにはコミュニケーションが含まれている。
ひさびさにレシピ。
(材料)
スパゲッティ、塩
油(サラダオイルでも、オリーブでも。適量)
レタス(一人分あたり2枚程度)
トマト(一人分あたり卵1個くらいの大きさ)
きのこ(しめじとか好きなものを。一人分あたり卵1個分くらい)
鷹の爪(好みですが一人当たり1本)
だし醤油(なければ醤油+だしの素)
ハチミツ(一人分あたり小さじ1杯)
(作り方)
スパゲッティを茹でる。
茹でている間に、レタスをちぎり、トマトは串切り。しめじは根本を切る。鷹の爪は半分に折って種を捨て、さらに手でちぎる。
パスタ茹で時間の後半になったら、フライパンを熱し、油をしき、鷹の爪(種はいれない)を投入。焦がさぬ事。
ニンニク好きな人は、このタイミングでみじん切りのニンニクを投入します。
挽肉を炒め、野菜を加え(きのこは油を吸うので最後がよいでしょう)、スパゲッティのゆで汁を投入(一人分あたり、おたま1杯弱程度)。だし醤油を加え、ハチミツを少々加える。
このあたりでスパゲッティが茹であがるので、ザルにあけてから麺を投入。味をからめる(汁を煮詰めつつ)。
皿に盛って召しあがれ。
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レタスを加熱するのは最後に…と思われるかもしれませんが、あんがい味がしみにくいので、前半からでよいと思います。
まあ外側の葉っぱほどレタス独特の味が濃く、内側ほど淡泊になるので、タイミングはよしなに調整してくらさい。
私生活とは関係ないテーマでも、浮かんだことは言葉にしようと思います。
(つまり気にしたり心配しないでね)
かといって、100%空想じゃないとも思います。
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いまもあなたが好きなのだが
1日のうち24時間ずっと好きでいるわけじゃないわけだ
好きというのは意志じゃなくて感情
蛍は孵化してから死ぬまで光りっぱなしじゃないんだ
ましてやあなたは
とっくにそうだったのかな
そのうち話す喜びもなくなって
さらに多少の面倒を感じて
目を伏せた方がラクになってたのかと思うと
もともと欠けている私が 実はさらに欠けていたような気がして怖くなる
でもこの怖さはあなたのせいじゃない あなたのせいだって言いたいんじゃない
そうして私もあなたに目を伏せる
久々に自分のことを(ここに)書く。
とりとめもなくなるかもしれないけど、文章もきれいに成形されてないだろうけど、邪魔くさかったら適当に読み流して。
なんか、自分のなかに優しさが育てばいいなと思う。
人に気を配れてないわけじゃない。
けれど本当に人と自分とが、お腹のところからちゃんと開いて、むきあってる感じで出される優しさ、そういうのがあまり発揮できていない感じがする。
怯えるのも、ごく普通の人の、ごく流行の(この世相をうけた)反応だと思う。
肩の荷が降りて自信が持てて、大丈夫。ってなって、人に幸せを分けてあげられるようになったら、やっとそこで神様からご褒美がもらえるかもらえないかって感じなんだろう。
ご褒美は欲しいけど、まずはそういう状態になれたらなと思う。もうそれだけで充分かも。
さっき言ったのと繰り返しになるけど、私は人に何も与えられてないわけではない。
食べ物、お酒をつくったり、会話をしていてポンと絶妙なタイミングでツッコミを入れたり、知っている人に挨拶をしたり、仕事がんばったり、仲間や友人にメールを送ったり、ただ嬉しい気持ちでニコニコしたり…。
でも、迷いの方がうんと厚くて、うろうろしていたんじゃ、神様もチャンスもこっちを見つけられないだろう。
優しさが育てばいいなと思う。
それは、まだまだだ、もっともっと、という飢餓感、焦りからくるものではなく、きっと、願いからきていると思う。
自分の到達点は、尺で言えば他人しか判らないものだろうけど実感で言えば自分しか決めることができないと思う。
いまは、もう少しだと感じています。